親子3代。バトンをつなぎ、守る安全

家族経営の会社で課題になることといえば「事業継承問題」。誰が会社を継ぐのか、後継者を育てられているのか、次の世代にちゃんと引き継げるのか…などなど、考えるべきことがたくさんあるのではないでしょうか。

しかし、経営者や後継者の病気や急死、高齢化など、やむを得ない事情で突然会社を引き継ぐことになるケースもあります。

今回はクロジカスケジュール管理のカスタマーインタビューです。京都府京都市で産業用蓄電池・電源システム、非常用ガスタービン発電設備、フォークリフトの販売・メンテナンス事業などを展開している、京都電業株式会社 代表取締役社長の神舎さんにお話を伺いました。

神舎さんは、先代社長の高齢化とお姉様の急死をきっかけに、40代で急遽社長に就任。異業種から転身し、トップに立って会社を引っ張っていくことになりました。

「人のくらしの安全、より豊かさのため、地味だけど、いつもどこかで...。」を掲げ、地域社会の安心と安全を支える仕事をしている神舎さんに、社長業を始めた経緯や、次世代への事業継承のための取り組みなどについて伺いました。

父の高齢化と姉の急死。突然会社を引き継ぐことに

── はじめに、これまでの神舎さんの経歴を教えてください。

京都電業は私の父が創業しました。次女の私は当時の夫が経営する美容院を手伝っていたため、会社には携わっておりませんでした。しかし私が42歳の頃に姉が急に他界してしまいました。父も高齢だったために16年前の43歳のとき、事業のことをまったく知らない状態で急遽この会社を継ぐことになりました。

会社は父がワンマンでやってたような昔ながらの社風で、一人親方のような方々がお客様に自分で見積もりを持って行き、打ち合わせも工事もするという状態で、組織というものがありませんでした。これでは「ゆくゆく危ないぞ」と感じ、営業部や工事部、総務などの組織を作っていくところから始めました。

次に古い社屋をすべて建て替えたり別会社をひとつの会社に合併したりと、最初の7、8年ぐらいで組織から建物まですべてを整理して、人をどんどん入れ替えていきました。

── 会社をすべて刷新されたのですね。京都電業様はどのような事業をされていますか?

弊社のメイン事業のひとつが非常電源です。ビルの中で停電した時に逃げられるように非常口に電気がつきますが、大型のビルですとあれを大きな電池と一緒に設置します。弊社はそれの販売や設置工事、メンテナンスをしたりしています。

そこから派生して、病院や駅など絶対に電気が止まってはダメなところには、川崎重工業さんの発電用ガスタービンを設置しています。弊社の商売というのは災害とともにあるとも言えるほど、皆様の命を預かっている大事な商売だと思っています。

非常用電源は特にもしもの時に動かなかったらアウトですので、お客様に継続的に取引してもらい、信用していただいていることが何より嬉しいですね。

また、弊社はバッテリー屋なので、GSユアサさんの商品である産業車用のバッテリーを使っているフォークリフトを扱ったことからフォークリフト事業も行っています。その他、蓄電池付き太陽光発電装置も扱っています。

── 確かに、いざという時の電気があるかないかで人命救助などに大きく影響が出ますものね。

そうですね。また、このような事業とは別に嵯峨事業部を5年前に立ち上げました。嵐山の竹林を抜けたところにある誰も住んでいなかった私の実家で、空き家活用として「かみ舎楽」というカフェ併設の七味屋さんをやっております。

「香りの薬味屋」として香りにこだわって作っているので、すごくいい香りがしますよ。ゆず七味はゆずの皮を乾燥させて作っています。お客様から「これは違う、おいしいわ」と喜んでいただいております。

京都大丸さんと京都伊勢丹さんのデパ地下をはじめ、京都駅のJR東海さんやJR西日本さんのキヨスクの売店でも販売させていただいております。

── お父様から受け継いだ事業を整えながら、まるで違う新しい事業まで始められていてすごいですね…!

父が事業を始めた昭和27年は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような三輪自動車が走っていた時代で、事業の主力はバイクのバッテリーでした。それが車になって、車から産業用になりました。時代の流れのなかで需要も変わり、それによって主力商品も変わってくるので、時代に合わせて売るものを広げていっています。

── 京都電業様の強みはどのような点でしょうか。

本当にありがたいなと思ったのは、父がテリトリーのある仕事を選んでくれたところですね。GSユアサさんも川崎重工業さんも京都の中で弊社しか代理店がないので、ベースが強いのが強みです。

あとは全国の条例で災害対策として、小学校やビルといった建築物には、消防法によって産業用の非常電源の設置が義務付けられているため、そこに安定的な需要があることが強みですね。

東日本大震災以降は補助金も出るようになりましたし、各企業さんやビルのオーナーさん達の危機管理意識も高まっているので、弊社にとっては追い風になっています。

母から息子へ。目標は、社長業継承のための準備

── 社員が働きやすい会社をつくるため、努力されていることはありますか?

弊社は、社員同士の風通しの良さが自慢のひとつです。ただ会社である以上友達同士ではないですし、仕事が絡むと深い部分までは話しづらくなるので、社内でコミュニケーションが滞ってしまう時はあると思います。だから私が積極的に声を掛けていくようにしています。

取り組みとしては年に1〜2回ほど、社員一人ひとりと1対1でプライベートな話をするようにしています。私は結婚、離婚、経営、介護、姉の死と波乱万丈の人生をなんとか乗り越えて生きてきています。なので、私の経験を通して社員と話をしながら解決策を考えています。

最近は若い社員が増えましたので産休や育休、育児時短など、ライフスタイルに合わせて生活しやすいようにサポートしています。社員から「そういうことをしてくれるのはこの会社しかない」「これが京都電業のいいところやな」と言われるのでとても嬉しいですね。

── すごく働きやすい会社なのだろうなと感じています。今後、貴社をどのような会社にしていきたいですか?

息子が高校生ぐらいの頃から「会社を継ぎたい」と言っていましたので、次の世代につなげていくことを目的にして事業をしてきました。私もあと2年で60歳になりますし部長たちも同年代ですので、今は息子に代替わりした時に向けたチーム作りをしています。また、息子は跡取りとなるようにGSユアサさんや川崎重工業さんの現場で修行しています。

昔風のワンマン社長と一人親方の軍団でやってたような会社をすべて整理し、組織を作って商売を広げて、次の世代に渡して自分たちは引く。一番の目的は次の世代にいかにいい状態で会社を渡すかですね。この会社を息子たちがどう大きくしてくれるかを楽しみにしています。

── 引く時に、次の世代に一番いい状態で渡すというのが本当に素晴らしいなと思います。

まだ私に余力がある状態で引けば、次の世代が困った時には助けることができます。もし困ったときには「私が後ろについているよ」という安心感だけは与えるようにしています。やはり私は会社を預かっていますので、最後の責任は私が取ります。

みんな「社長に迷惑かけたらあかん」と思って頑張ってくれています。それでもやっぱり「どうしましょう」と来るときには、どんなことであろうと必ず私は受けます。そこは「覚悟」ですよね。

── すごいですね。急に社長になられて、最初からそのように覚悟があるものなんですか?

そんなことはないです(笑)。ですが、私が息子に教える、ある意味 帝王学というものがあるとすれば「腹をくくって覚悟しなさい」ということですね。何か心配したところで、起きていないことを悩んでも仕方ない。起きてから考えたら大抵のことは腹をくくればどうにかなるからと。

クロジカで管理し、効率的かつ能動的な事業運営

── 最後に神舎さんから伝えたいことはありますか?

そうですね。現在、「クロジカ スケジュール管理」を使わせていただいています。弊社にはさまざまな部署があるので、どこからでも誰がどこにいて、何をしているかが見えますし、伝達事項を伝えられるのもすごくありがたいです。

私が会社を改革をするうえで、「誰が見てもわかるようにしておく」というのがテーマでもあったので、今は業務すべてをデータ化しています。そういうものも含めて、「管理」というものが目に見えて誰でもわかるようになれば、すべての社員が自由に効率よく働けるようになると感じています。

クロジカのような便利で使えるツールを上手に利用しながら、若い人も年配の人も一緒に働きやすく業務をこなして業績を伸ばし、未来につなげることを目指しています。

弊社は小さなものから大きなものまで売っていますが、皆さんが安全に平和に暮らしていただいて、その先に楽しみがあるというのが人間の幸せかなと思っています。

七味屋でおかきなども売っていますが、「いい香りがして心が癒やされる」といった、安全の上に普段の生活があって、その中で何かちょっと彩りになるような香りやおいしさを提供する。そういったお手伝いもしているのが弊社の商売です。ぜひ、京都に来られた際は「かみ舎楽」にお立ち寄りくださいね!

── お話を聞いて、京都電業様のこと自体もですが、何より神舎さんがすごくかっこよくてファンになりました。本当に貴重な話をたくさん聞かせていただきありがとうございました。