受託開発から自社サービスへ。転換期の話

当社は創業以来9年間、受託開発を中心に事業を展開してきましたが、2013年に受託開発をバッサリとやめ、サブスクリプションモデルを軸とした自社開発へと事業転換をして、今に至っています。

思い切った事業転換はなぜ必要だったのか。受託開発から自社開発への転換をどのように実現させたのか。創業メンバーである代表取締役の永井さんと、取締役 兼 管理責任者の金子さんにインタビューしました。

不安だった受託開発時代

── まず受託時代のことを振り返っていただけますか?

永井:売上の推移を見ると波はあるんですけど、資金もちゃんとプールされていって毎年利益を出して…と数字の上では順調に行っていたと思います。常に仕事がある状態をキープできていて。ただ、受託開発は受注がないと売上が取れないので、受注がなくなったらどうしようという不安は常にありましたね。

金子:開発チームとしては、案件に合わせてとにかく作る作るの繰り返しでした。仕事がなくなるということはなかったですが、その分こなさなければいけない案件の数も多くて、準備期間もあまりなく開発を進めざるを得ない、ということもよくありました。そういう点では、経営陣だけではなくメンバーの方も会社に対して不安はあったんじゃないかなと思います。

── なるほど。そこからどうして受託をやめる流れに?

永井:一番の理由は社内の労働環境の悪化ですね。受注した案件がどんどん増えて、納期前はメンバーのほぼ全員が残業している状態になってしまった。エンジニアだったら毎日23時までいるとか普通で。納期の前後は家に帰れないということもよくありました。

当時は僕が受注を取る営業をしていましたが、そのうち受注してもみんながそれを喜んでくれなくなったように感じたんです。勝手な思い込みだったのかもしれないけど、「受注したから売上取れてモチベーションが上がるぞ」じゃなくて、「案件がどんどん増えちゃって仕事が終わらない」というマイナスを生んでしまっている感じがありました。

案件炎上、事業転換へ

── だんだん社内が疲弊していったと。事業転換の決め手になるような出来事はあったのですか?

永井:大きな案件を2連続で炎上させてしまって、「納期に間に合わない」「思ったものが作れない」ということが重なったのが決め手になりました。社内の状況もエンジニアの業務量が完全にキャパ超えしてしまって、営業もこれ以上仕事を取れないという状態になっていて。完全に八方塞がりになってしまって、このままじゃダメだなと感じて決断しました。

── では、受託をやめてどんな事業をやろうと?

永井:まず労働集約型じゃないビジネスモデルにしようと。このままメンバーの時間をただ切り売りするような形で会社をやっていくのはもう限界だったし、そんなことを望んで起業したわけではなかったので。そのためには、最も不安だった毎月の売上が定期的に上がってくるビジネスモデルを作らないといけなかった。そこでサブスクリプションモデルに向かったんです。

── なるほど。それでサブスクの自社サービスを作ろうと。

永井:はい。ただエンジニアの手が回らないということもあって、いきなりゼロから新しい自社サービスを開発するということはできなくて。それで営業チームだけで売上が作れる仕組みがないかと考えて最初に作ったのが、AWSを中心としたインフラ運用支援事業のクラウドアドバイザー(現:クロジカサーバー管理)ですね。これなら初期開発はサーバーの構築くらいで済むし、継続的に運用保守を任せてもらえれば確実に月額の収益を積み上げることができるので。

金子:もともと開発を受託していたお客さまに対してサービスを提供することができるという点も大きかったですね。「開発はやめますが、サーバーの運用保守は受けられるのでやらせていただけないか」という形でお付き合いを継続することができたので。結果として事業を始めた時点から売上も作ることができましたし、良い形でスタートダッシュを切れたと思っています。

永井:当時の僕らが持っていたノウハウを生かせるビジネスモデルがうまく作れたんです。だから自社サービスといっても全く新しい事業を始めたという感じではなかったですね。

どうやって自社サービスに一本化したのか?

── 受託開発時代のリソースを生かして生き残る道を見出したと。新しい事業を展開する中で、受託事業からはすぐに撤退できたんですか?

永井:そうですね。転換してからは受託の新規案件はもう取らないと決めました。ただ進行中の案件は残っていたので、それはしっかり終えてからにしようと。

金子:進行中でしたけど途中で止めた案件もありましたね。次の開発の相談を受けていたんですけど、もう受託からは撤退するのでとお断りをして。お客さまのところまで直接謝りに行きましたから。

永井:金子くんはあの時大変だったよね(笑)。

金子:はい。ただすごくありがたかったのは、受託から撤退することを残念がってくれるお客さまがとても多かったということですね。今後もぜひ作ってほしいというお声もいただいて。受託として継続していれば売上的に大きな案件にすることもできたと思うんですが、会社のために必要な事業転換だと考えて決断しました。

永井:実際、受託をやめてから2年で売上は回復できたしね。そこからAipo(現:クロジカスケジュール管理)の開発にも力を入れるようになって、完全に自社サービスに振り切った事業展開ができるようになりました。

残業しない働き方の実現へ

── 最も大きな問題だった社内の労働環境は改善されたのですか?

金子:そうですね。目に見えて残業時間は減りました。受託時代は1ヶ月で平均70時間くらい残業していたのですが、すぐにそれが10時間以下になりました。

永井:まずそこから変えないといけなかったからね。

金子:受託開発だと要件定義やお客さまへの提案に時間をかけたり、開発したものが作り直しになったりといったことは日常茶飯事でしたが、それがほとんどなくなったので業務の負担やフラストレーションが大きく減りました。自社サービスだと「自分たちのサービスをどう見せて伝えるか」ということだけに集中できますから。残業がほとんどなくなったのは、ただ自社サービスに変えたからということだけではなくて、こういった仕事の中身の部分で変化があったからなのではと感じています。

── 劇的な改善ですね。当社の今の環境からするとそれは大きな変化だったでしょうね。

永井:はい。だから受託をやめるって言った時に、「残業がなくなるから残業代が給料からなくなる」っていうのはメンバー全員に伝えましたね。それまでものすごい残業ありきで仕事してたのが、急に残業代がない給料になっちゃうから。制度上の仕組みで給料が下がるわけじゃないけど、そこは変化として受け入れてほしい、ということはきちんと伝えました。

知識集約型の働き方とは?

── 話は変わりますが、事業転換の軸として挙げている「知識集約型の働き方」とは、具体的にどういうことなんでしょうか?

金子:あくまで私たちのイメージではあるのですが、自分たちの時間を使ってお客さまに価値を提供した時に、その時のノウハウや知識がちゃんと自社の中に積み上がっていくのが知識集約型ということなんじゃないかなと考えています。受託開発はどうしても作ったらそれで終わりになってしまうので、自社の中にノウハウや知識が残りにくいんですね。

永井:僕たちだけが持っているノウハウや知識がどんどん増えていって、それが価値になるというイメージです。

あと、受託開発時代は完全に労働集約型の働き方になっていたと思います。ただ、これは受託開発が悪いということではなくて、僕たちのやり方が良くなかったんですね。仕事の進め方も含めて組織づくりがきちんとできていないと、一人一人にかかる負担も大きくなるし、ノウハウも属人化しやすい。足し算の組織になっちゃうんです。

それよりは、組織としてノウハウを蓄積して社内のみんなで活用できる方が絶対にいいし、メンバーそれぞれが持っている個性をうまく生かしあえるのがいい。そうすると掛け算の組織になるんです。何倍も強くなる。知識集約型の働き方ってこういうことなんじゃないかなと思いますね。

── なるほど。最後に、今回のインタビューで当時を振り返ってみた感想をお聞かせください。

金子:今の市場を見るとSaaSやクラウドの流れがどんどん加速していますが、その流れの中で当社はうまく事業転換ができたのかなと思っています。今の事業内容もきちんと地に足がついたビジネスができていると思いますし。まあ、もっと早く決断できていればよかったんですけどね(笑)。

永井:9年かかっているからね。でも、この会社を始めた時からそうだけど、「何をやるか」より「誰とやるか」を大事にしてきて、「このメンバーだからこれをやる」というのをやり続けてきたからこそ今があるのかなと思っています。自分たちの力を一番生かせることをやるっていう。それが事業転換がうまくいった理由ですね。